昭和44年10月15日 朝の御理解


御理解第四十一節「信心は話しを聞くだけが脳ではない。わが心からも練り出すが良い」
 拝むことやら参ることが信心と思うておった時代に「此の方の信心は祈念祈祷で助かるのではない。話しを聞いて助かるのだ」と。そういう風に教祖様は話しを聞くと言うことに重点を置かれた。ね。かと思うと次にここに頂く話しを聞くだけが脳ではない。一生懸命拝めとは仰っておられません。わが心からも練り出せと言うておられます。そこで、ここで思いますのは信心とは話しを聞くだけが脳ではない、だけではない。ですから、まず、話しをよく聞かなければならん。話を聞くと本当に自分達の生き方が間違って負った事。これでは幸せにはなれないこと。これでは、相済まん生活であったことなどが色々分ると同時に今まで全然気が付かなかったこと。ね。しかも、本当な事が段々話しを聞く事によって、分ってくる。
 だから、まず、話しを良く聞く事である。けれどもその、聞いて分っただけではいけない。そこでよく練り出すがよいとこう、わが心からも練り出すがよいと、だからわが心からも練り出されるところの働きというものがね、必要になる。わが心からも練り出すが良い。頭からも練り出すがよいとは仰っていない。わが心からも練り出すがよいと。よく自分の頭で練り出す人がある。
 若先生がまだ、学院に入ります前に毎日親教会に日参を致しておりました。が、もういよいよまじかになりましたころから本格的に親教会に泊まりこみで修行させて頂くようになりました。丁度その前後の頃だったと思うんです。ね。まあ、父親の跡を受けて自分も取り次ぎ者としての御用をさせてもらわなければならないという事はまあ少年の時代からの夢でもありまたそれは願いでもあったようである。
 十二でしたでしょうかね、神様からあの正月にお知らせを受けたのですね。その時分に藤原という女の修行生の方がおられましたが、それが中々御結界につきますと本当にこの人は御結界の人だと思われるくらいに立派なこの神習というかね、その、御結界奉仕が出来ておりました。(?)やはりその、まあ、「次の時代の若先生であり、次のまあ、ここの教会長にならなければならない責任を持っておるお前だからねああして、修行生の方達が一生懸命まあ、御神勤をしておるけれどもね、あれだけでは足りない。ね。だからその後ろ祈念が大事だ」といったようなことを頂いておるのですね。それから、御結界奉仕をそれを学校から帰ってまいりますと1時間づつ奉仕を致します。まあその時の写真がありますがね、丁度奉仕をさせてもらうというその日に丁度いつもご祈念の時間にしか参ってみえない田主丸の石井信司郎君のお母さんです。その久留米の仕入れか何かに行った帰りに行ってお参りをした。丁度、勝彦がここで御結界奉仕をしておる、その、一番始めにお取り次ぎをさせて頂いた人なんです。石井清子さん。ね。
 その時にその石井さんが、「まあ」いうてその言うたけれども、ここで頭を下げられて感激、感動をしておられる。私はそれを当時の楽室から私の控えになっておりましたからあちらから、見せて頂いておった。まあだ本当にいわば何も分からない子供が御結界の奉仕をしておりますから、本当に有り難かった。問題はその、その感動ですね、その有り難いというのがおかげを頂く元になんですよ。早速、呉服屋さんですから、奉仕着とそれこそ紋付袴をお供えされました。その時分の小さい袴やら紋付が残っております。以来、毎日、御結界奉仕を1時間づつであるけれども致しております。
 あちらのお結界を使っております。丁度あの人が座る頃、当時紙芝居がやってきたんです。家の直ぐ横で、カチカチカチ言わせて鳴り出しますと、もう御結界座っとるごとないとですよね。そして、よう泣き出しよりました。たった1時間くらいの奉仕をしてから、泣いたのです。「僕は、紙芝居を見ろうごたるけ泣きよるのじゃなかち。小便まり行こうごたるけん泣きよると」ち言うてから(笑)。ちゃんと涙止めております。何時の間にかなくなってしまって。かと思うとあの御結界にはその、傷跡が残っておるのですが、この真中のところにこう鉛筆を持ってからこうこうやって、付き立てておるわけです。もうたった1時間でも1時間が辛抱せんならんと思うて、こうして随分長い時間ですよね。やはり。しかも十二の子供には随分長い時間であった。しかもそこの外では紙芝居がかちかちいいよるからとにかく長い時間であったに違いない。それでももう、十分間でも遅れるとかんしゃくをまわすわけ。私はその鉛筆の跡を残っておるこの、これを大事にしてこれをあの人が子供の時に奉仕をさせておったという、本当にこれはまあ、なつかしい、しかも尊いこれは傷跡だからこれはもうこのままにしときなさい。まあ残っております。そんなり傷跡が真中に。ね。そういうようなですね、あの、まあ、ささやかな信心から段々現在おかげを受けております。ね。
 そこでそのまあ、子供なりにも考えたのですね。ただ、ここで座っておるだけでは脳ではないと分ってきたのです。ね。だから、勿論それは、ね、人が助かる事さえ出来ればとか、人が本当に助かることの為のお取り次ぎでなからなければならないとまあ言葉で言えばそういう事でしょうけれども、ただ、座っておるだけが脳ではない。ね。いうならば、話を聞くだけが脳ではない。だから話を聞いて分っただけが脳ではない。わが心からも練り出すがよいと、そこでまあ、子供ながらに一生懸命練り始めたわけですね。私は知りませんでしたけれど、道のこちらにあの、お広前がいっぱいになって、あそこへあの下を物置にして上を子供達の勉強部屋に出来た時代がございました。あの時分に二階を勝彦が一人で使っておりました。
 もう、布団の中に入らずに一生懸命その、夜の勿論勉強もありますことですから、二階の部屋に座って一生懸命そのご祈念をしたらしいですね。毎晩。そしてね、「私が父親の跡を受けてお取り次ぎ者としておかげを頂かなければならんためには、どう言う信心をさせて頂いた、どういうおかげを受けたら、人が助かるようなお取り次ぎが出来るようになるか、お父さんは神様からお知らせを頂いたり、神様からこうご心眼を頂いたり、お知らせを頂いたとか言うことを言われるが、私はそういう事が分からない。ね。ですから、神様から直接やはり、私も頂かせてもらわなければならん」と言うて一生懸命ご祈念をして、神様にそういう事を頂くまあいうなら稽古をした模様です。けれどもなら、まあ子供に神様がそんなお知らせを下さるはずもない。●それでも、前にですねその、まあ、御神夢だろうと自分で言うそのお夢を頂いた。自分が、御結界に奉仕をしておる姿である。そしてここのお取り次ぎをさせてもらう、玉串案とね、この台。その台がとてつもなく厚くて広くて長い。この玉串案の上にこのおへいですね、お初穂をお供えなさる、このおへいがこの斜めにして中にほうりこんであったと。この中に。どういう事であろうか。分らなかった。ね。自分で練って分りませんからまあ私のところへ持って参りました。こういうお夢を頂いたがどういう事じゃろうかとこういう。こういうようなお知らせを頂くようになってからいわゆる本格的にやっぱ信心というものが、学院を行くという事をまあ志したというか、勿論信者さん方の願いもありましてから、御本部へ行くことになったのですけれども。
 どうでもそのお夢の中に頂いたようなそういうおかげを受けなければならんというのでまああの人なりに一生懸命にならせて頂いた。勿論本部なんかへまいりましてももう、とにかく成績が悪いと言われました。というのも、頭でするという勉強の方を疎かにして、もう、夜も夜中もなかように、大体学院から抜け出すことが出来んのに夜夜中に、抜け出しては奥城に出ていく。ね。そして、奥城で一晩中ご祈念をしてくる。明くる日に大事な学科の時には眠るち言うわけです。だからそういう意味で成績が悪かった、というような事を通知がきよりましたけれども、私はそれは有り難い。折角御本部へ修行へ行っておるのだから、やはりその、そういう、こちらへ帰っては出来ない修行をさせてもらっておることは有り難いなあ。勉強なんかは、いつだってしようと思えば出来るのだと。やっぱ実際のことが本当に大事な事だと。その当時に手紙をよこしよりました。ね。「奥城に出るのが、夜よなに出ていくことが楽しみになってくる。もう夜中の何時頃になると、目が覚める、奥城にでる。ね。ただ今神様と恋愛中だ」と言うような事を言うて来ております
 もうでりゃなおられん。そういう事を例えば学院では非常にやかましく言われたらしいですね。それでもやっぱそれをやってのかした。昼は、あの金光駅のお便所の掃除に、そんな事よりか、御本部の方をしたらいいのだけれども、ね、そういういわゆる止むに止まれないという時代です。ね。まあ、その、お夢の中に頂いたというその事なんかでもそうですね。ここの、台がとてつもなく大きくて広くて厚いと言う事はどういう、どういう、思いというかどういう難儀な問題を持ち込まれ来てもこれがビクともする事はならんという事。御結界奉仕をしておるものは。「先生どうしましょうか」というて泣きついてくるような時にさあそれはどうするかと言うて、うろたえることではお取り次ぎが出来ん。どういう難儀な問題を持ち込まれてもそれこそビクともせんだけの信心がここで出来ておらなければならないというお知らせであった。
 (?)おへいが斜めに信者の方から御結界の方へ向かって斜めに向いておる。しかもこれが埋けこんである。掘り込んである。お供えが多いとか少ないとか、お供えをしたとかしないとかそういう事は問題にしてはならない。これは信者のほうを向いてはならん。ね。あの人はお供えを沢山するからよかお取り次をさせてもらおう。あの人は参ってきてもお供えをせんから、もうざっと拝んどこうということでは出来んというのである。もう取り次者としてのギリギリの精神。神様がね、そのようにしてまだ子供である、その、勝彦に教えておられます。それが、どういうような事かとこう練るという事。ね。そこから練られてくると。そこで皆さん今日ここで、信心の話を聞くだけが脳ではない。わが心からも練り出すという事。という事は話しを聞かんでも良いといいうのではない。話を十分に聞かなければいけん。ね。聞いたらわが心から練り出さなければならないというそのあい中に何かがあるという事がわかる。
 頭から練り出すならば腕くまねいておれば良いのである。けれども心から練り出せというところにお道の信心があるのである。その当時若先生が学院でお話の稽古をさせられます。そのお話がテープにとってあったのを送ってまいりました。小さいテープに。それを聞かせて頂きましたら、お釈迦様とシャニブツのお話をしております。
 そのテープを聞かれて伊万里の竹内先生が「先生もう、私共だけで聞いたっちゃ勿体なか。これはもう皆に聞かせんならん。また、皆にこれをパンフレットにして読んでもらわにゃならん。若先生が話されたんです。若先生がこれを」というて、あの時の大祭に御直会にパンフレットが出来ました。先生が若先生が話しましたそれを、皆さんにお配りしたと思います。ね。どうしても自分は、取次者としておかげを受けなければならん。為には力をどうでも頂かなければならん。人がどんなどういう難儀な問題を持ち込んでもどっこいと受けられる自分にならなければならない。為にはどうしたらよいかと一生懸命、もう神様に体当たりである。お知らせ一つ頂けんようなこっちゃというて神様私にもお知らせを頂かせてくださいというて願ったけれども、お知らせは頂けなかったけれども、なら、学院中に、在学中にまあ、夜な夜な奥城にでらせて頂いて、奥城の前で、あの石畳の前に座ってそれこそ、一心不乱にご祈念をするということに有り難い物楽しい物が生まれてきた。もう、神様と恋愛中だというようなその恋愛感情に似たような神様と若先生との間に何かが交流するようになった。もうそこにはお知らせとかそんなものとか問題じゃなくなってきた。拝んでおるという事に神様と交流しておる。その楽しさというか、ありがたさというものが段々、信心の有り難さを実際に分ってきた。私はこのへんのところがですね、お互いかけておるのではなかろうか。話しを良く聞くという事。これも大事。これ絶対聞かなければならん。お道の信心は。話しを聞いて助かるのだから。ね、だから聞いた話をです、今日の話は良かったねと今日の話しは本当に素晴らしかった。あれはどげん頂いたらよかろうかねと言うて腕くまねいて話しただけではいけん。思うただけではいかん。それを例えば分ったなら分った少しでもよいから、それを私は行の上に表していくという事が大事なのだ。ここのところがかけている。ね。
 例えば本当にお商売をさせてもらう。ね。お商売をさせてもらうなら人が十銭で売るところを八銭で売れよと、目先は2銭損のようであるけれども、数が余計売れるからそれのほうがましじゃと、特じゃと言う風に仰っておられるのですから、本当に自分方の品物を価額を入れなおすくらいな実行力がなからにゃけりゃ駄目だ。信心させてもろうたら。今まで十円で売りよったものは八円に正札を替え直すようなね、そこからです、ね、けれども、これじゃあ立ち行かんとか、なるほどこれならお客さんがお喜びなさるとか何かそこに答えが出てくるのだ。そこから練り出さなければいけんというのです。ね。はあ今まで十銭で売りよったのを八銭で売ったら大変な損じゃないか。と考えよったっちゃ駄目。実行に移さなければ。反響がない。ね。そこからです、私は頭で練り出すのではない、わが心からも練り出すが良いとおっしゃるわが心から自ずと練り出されてくるのだ。ね。それが尊い。
 くる日もくる日も腕くまねいてそれこそ、それこそ悲痛な顔をしてから何か思案模索をしておるシャニホツの姿をご覧になったお釈迦様が数日後にシャニホツを手元に呼ばれた。「シャニホツよと。毎日毎日苦しそうにして、腕をくまねいて何をお前はそんなに考えておるか」と。ね。といいながらお釈迦様は自分の懐中からハンカチのようなものでしょうね、取り出されてからそれで輪を作られた。そこから、結び結んで輪を作ってね、それをシャニホツの前に出された。これを解いてみよと。結ばれた固い結びをシャニホツが解いた。また結ばれた。また解いた。それが三回五回繰り返されたうちにです、同時お釈迦様のお弟子の中には知恵第一といわれたシャニホツのことですから、「はあこれだ」と悟ったんのである。
「自分が腕くまねいて頭で考えようとしていたのが間違いであったんだ」と気が付いたというのである。「どのようなことでもよい、師匠お釈迦様が教えて下さることをです本気で行の上に現す以外にないのだと。ですから、これを解かなければ出来ないのだと。頭でだけでは説けないのだと。悟った」という訳なん。その話しを学院でしております。ね。そういう処を自分自身もやはり通っておったからだと私は思うのです。学校で、学院で習う学問的なことだけではだめなんだ。本当に神様に体当たりして、神様との交流をはかる。実際行の上に現す。それこそ、いうなら、大した縁もない金光駅のお便所掃除にやらせて頂く。そういう例えば行の上に現してそこから何かが得られたというのでなからなければ、ならないとこの四十一節で私は思うのです。
 ね。信心させて頂いてただ、御利益とかおかげだけが続いたら、それこそ、なるほど瞬く間に世界中の人が金光様の信心をするようになるだろうけれど、ならおかげだけ御利益だけが頂けたと言う事でなら人間が幸せになるという事ではない。どんなに雨であろうが風であろうがそれを受けぬく元気な心で、いや有り難い心で受けぬかせて頂く心こそ、人間の幸せの根本なんだ。
 先日、佐田さんのご親戚の日田の山奥の方からお参りしてくる方がある。もう、山の中ですから、いわゆる山の田畑を沢山持っておられる方なんですけれども、段々お参りをしておかげを受けて、とにかく親先生の仰る通りしとけばいいと。信心とはそれなんだと、合楽の信心は親先生任せでしていく信心が本当な事だという風に段々分からせられてきて、いよいよ、田になんていうですかね、なんて言うか分からんけれども、種をまかれるというですかね、それでその、その、(?)種の種類をお伺いになった。こういうようなその、種類がありますがどれを蒔かせて頂いたら、で私はこれを蒔かれたよかろうと言うてその、これを蒔かなければならんとに○をつけてやった。ところが帰ってきてから夫婦で話された。もう、これは山田には一番いけんないち、品種だと言われるわけなんです。それでも、親先生が一番いかんとをこれを植えれといわっしゃったから、そげな事いうたっちゃ違うごたるふうで夫婦それで少しもめたらしいんです。けれども、親先生がそう仰ったんですからというてそんなら半分半分作ろうというので今まで作りよったのと、その、親先生が作れと言われたのと半分半分作ったのです。
 ところがですね、今年と言う今年はその、いつもよかったのが、殆んど全滅に瀕した。そして、親先生がよかと言われたのは、これはまた、その倍の倍ち言うてよか位に豊作だった。もう山田のことですからもう借り入れがすんである。それで夫婦でもう「親先生の言われる通りしときゃあこれの倍できたとったつに」というて今いうけれども、けれども、おかげを頂いてですね、出来ない筈のがそのように豊作のおかげ、とにかく近所のものが目をみはるように出来た。だから今度の御大祭にはあの山田の米を一俵お供えさせて頂きたいからというて先日お届けがありました。ね。昨日秋永先生とそのことを話すんですよ。ね。
 昨日、善導寺の原さんが親子でみんなお参りして見えてから、今度その、本当にお参りようの自動車を中ぶりながら小さい自動車を買おうということになって買わせて頂いた。娘婿が、自転車屋さんですから、そういうものも扱ってますから、あちらに頼んで、お金が十一万円しかなかけんで、十一万円の(?)を買おう。ならそれで引き受けてくれた。ところが結局はその十六万円になった。もうしかないことになった。ね。昨日朝お参りになってみえてからでした。「今日その自動車が来るようになっておりますと。どうでも先生もうおかげのことにですね、十一万円しかないのにですね、ちょうど五万四千円、もう思いもかけないところから、思いもない金が入ってきた。丁度十六万四千円になった。神様に許されておる。神様のおかげという事がはっきり分かる。本当に有り難い」というてその昨日お礼を言うて帰られた後にです、今度は姉さんが参ってきた。北野のほう、昨日遅かったんです。けいこさんが。それがあなた「善導寺の方の自動車、(?)をとったところが主人が昨日向こうのほうへ参りました。と。ところが、あなた、誰も修理もしなければ、と、そのどうも、手があててない。家の主人が勤務時間もんですけんで、そんなことでは買わんと断って帰ってきております。もう善導寺のほうが、がっかりしようばってんか、断ってくれと言うて来ておりますから」とこういうのであります。十一万では足りない、あと、五万円どうでも必要だ、その五万円が入ってきた。もう、当然、神様のおかげと誰だって思う。だから、その十六万が用意されたから、その自動車をスムーズに入ってきてそうだけれども、どっこいそこでととまずいた。秋永先生こげなふうじゃんのと言うて話したことです。
 今の日田の米の方でもそうです。だから、来年なら親先生が言うなさるとおりに作ろうと思うが、と言うに違いない。来年は出来そこなうよと私が言う。ね。どうでしょう。親先生が言いなさる通りしときゃです、もう毎年毎年が豊作豊作というようなことだったら誰だってするけれども、その豊作豊作で人間が幸せになるだろうか。前の年があのようじゃ、はあ、去年のは偶然だったじゃろうか、いやいやそうではなかろう、これは神様が私共に何か分かれといいよなさるのじゃろうと言うてです、言わせて頂くところからです、ね、おかげを受けることだけがおかげじゃない、自分の思うようになることだけがおかげではない。思うようにならないそこんところをこのような信心で行きぬかせて頂いたらそっから、(?)生まれてくるであろう。ね。だから、私共が信心させて頂くのはそこんところを大事にさせていただかなければならない。例えば原さんの車のことのほうでもそうである。あればもう少し時間がですね、けいこさんがいつものように早く参ってきておったらあげん言うたとは断ってきたげなばいとこう言うたら、ここで御礼お届けもなかっただろう。なら、また次のごとおかげを頂かじゃなこて、しかも、十五万円とか、十一万円とか五万円とかといったような話がです、ね、何かいかにも偶然視しなければならないような感じになってくるのだけれども、それをおかげおかげとお取次ぎを頂いて帰った後に入ってこないと言うことになってきた。断ってきたということになる。ね。そういうような場合、練らなきゃならん。勿論おかげを頂きまして昨日、丁度4時の御祈念の時に一家中でその車が参りましてね、あの車から断りを言うてからもってきたかなんかでしょう。ね。敏男さんが、兄さんが、もってきてくださったんだそうです。それに、乗って御礼お参りをして見えましたけれども、ね、そういうようなことの中にでもです、一つの信心には必ず起伏がある。
 ね。ただね、思うようにスススススと行く事だけが順調ではないて信心では。起伏のことのあることこそが本当は神ながらなことです。ね、ですからやはりね、日頃、頭でどん考えよっただけじゃね、あれは偶然であった、ふが良かったじゃろうかということになってしまいますから、ね、わが心からも練りだすということはわが心からも練りだされるということはです、ね、いかに腕くま抜いておるだけではいけん、本気で行にそれを上に現して行かなければならないかと、お商売その十銭のものは八銭で売れと教祖は仰っておられるのであるから、本気で八銭で売る実行力を持たなかったら、練りだされるものは生まれてこない。まあ色々に申して参りましたが信心は話を聞くだけが脳ではない、わが心からも練りだすが良いと仰るからどうも矛盾を感じる。
 この方の道は祈念祈祷で助かるのではない、わが、話を聞いて助かるのじゃと仰る話を聞きさえすれば助かると仰っておられたのに、次にはもう話を聞くだけが脳ではない、とそこに矛盾を感じるけれどもです、話を聞くだけが脳じゃない、話もしっかり聞かなければ、聞いただけではいかんのだと仰っておられるのである。聞いただけではいけんのだと。わが心からも練りだせ。そこでわが心から、練りだすことをせんで頭で練りだすところにシャニブツじゃないけれども、腕くまねいただけになってくるのである。
 ね。わが心からも練り出さなければならないのである。わが心からも練りだすというところにです、そこに、行がその中にあることが分かる。ね。実行力である。その行をさせて頂くところから、です、ね、様々な答えが出てくるのです。ね。一様ではないです。誰さんがこうじゃったから、こちらはこうと言うことはないです。練り出されてくるものはもう様々な形に表れてくるうのです。それをです私共が信心で受け止めていくという、ありがたく受けていくというですからその答えと、練りだされた答えというのはね、私が悪うございましたといったような答えが出てこなければいけん。その答えというのは神様ありがとうございますという、感謝の心が答えになってでてこなければならない。もし中途半端な事だったらほんな事は答えはでとらんのだと。と私は知らなければいけないと思う。はあ神様のご都合恐れ入ってしまうという答えがでる。また、神様有り難うございますという答えが出るところまで一つ練っていかなければならんと思うですね。
                                     どうぞ